【クィア・ホラー名鑑】『エルム街の悪夢2 フレディの復讐』ゲイ・ホラーの聖典!初めての男性スクリーム・クイーンは彼だ!! 

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長い間、シリーズ最悪の失敗作と言われてきた『エルム街の悪夢2』。現在ではゲイ・ホラーとしてカルト的な人気を誇るようになった本作を、今回は取り上げようと思います。


お久しぶりです。

本当に久しぶりだな。どこ行ってたの。

学校が忙しくて。おかげさまで無事卒業できました。

そういえば学生だったね君。卒業おめでとう。…じゃあ、ここのバイトもおさらばだな。

いえ、3月まではこちらで働かせていただこうと思ってるんですが…大丈夫ですか。

まあいいけど…こんなくすぶった会社じゃなくて、ちゃんとした就職先を探すんだぞ。

はい。

(本当は、編集長と離れたくないんです…)

問題喚起力の高いホラー映画

さて、久しぶりの記事になりますが、クィア(Queer=性的少数者を包括する言葉)なホラー映画を特集していこうと思います。

ホラー映画は超常現象を扱います。しかし多くの場合、ただ荒唐無稽なだけでなく、そこにはメタファー(比喩)が込められていることも多くあります。その表現により、ホラー映画は現実を上回るリアルさで様々な問題を人々に突き付けてきました。

近年であれば、『へレディタリー 継承』がいい例でしょう。捨ててしまいたくても遺伝子レベルで追ってくる“家族”という存在。その不条理さは、ホラー映画でしか表現できなかったに違いありません。

実はクィアな『エルム街の悪夢2』

当時のポスター

このように問題提起力の高いジャンルであるホラー映画ですが、クィアという観点ではなかなか語られることがありません。そこには、ホラーの大衆映画としての側面が関係してきます。ホラーを見にくる観客たちの多くは、ふしだらでセクシーな女の子が殺人鬼に追われる光景を期待して映画館に来ます。そして清楚な処女(ファイナル・ガール)が殺人鬼に復讐するカタルシスを味わいたいのです。

今回ご紹介する『エルム街の悪夢2』も、公開当初は失敗作と貶められた作品でした。現代でも、いつものホラー映画を期待して見た人は、きっと満足のゆかない作品であると感じるでしょう。しかしこの映画は、ある視点から切り取ることで、史上最高のホラー映画という評価を下すこともできます。

それが、この映画を「ゲイの恐怖を描いたホラー」とする観方です。

作品概要

予告編

Nightmare on Elm Street 2 Trailer

あらすじ

前作で惨劇の舞台となった家に、5年ぶりにウォルシュ一家が引っ越してくる。前作で弱ったフレディは、一家の長男ジェシーに憑りつくことで彼を依り代にし、殺人を繰り返す。眠ると身体を蝕まれてしまうことに気づいたジェシーは、友達のリサやロンの力を借りてフレディと対峙する。

1.「ゲイすぎる!」失敗作の烙印

1984年に公開され大ヒットとなった『エルム街の悪夢』。夢の中で人を切り裂くという斬新な設定に加え、赤緑ストライプのセーターを着たフレディの独特なキャラクターに、熱狂的なファンも現れました。そんな第2作への期待が高い中、翌1985年に上映された『エルム街の悪夢2 フレディの復讐』でしたが、公開後の評価は最悪。その後の30年、シリーズ最悪の1作としての汚名を着せられることになります。

第1作のファンは「フレディには夢で自由に暴れまわってほしいのに、誰かに憑依して、しかも椅子で人を殴るなんて…これは私のフレディじゃない(IT’S NOT MY FREDDY !)」と憤慨しました。しかし、一般の観客がこの映画を低評価としたのには別の理由がありました。それは、「この映画、ゲイすぎる!」というもの。

ゲイポイント1:主人公が男

ジェシー役のマーク・パットン

まず、主人公が女じゃない時点でありえない。それがほとんどの男性の開始5分での評価でしょう。現代でもこの傾向はみられますが、ホラー映画の主人公は「純潔な女性」であることが多いです。ふしだらな男女が殺人鬼に殺されていく中、清らかな主人公が殺人鬼を撃退するカタルシスを味わうのです。最後まで生き残るため、彼女は「ファイナル・ガール」と呼ばれます。

ところがこの映画の主人公は男。それも、演じるマーク・パットンは男らしい頼れる雄ではなく、動きのなよなよとした深いグリーンの目の美青年でした。そのため、人々は皮肉を込めて彼を「ファイナル“ボーイ”」と呼びました。

ヒロイン枠のリサを演じたキム・マイヤーズ

また、ヒロイン枠のキム・マイヤーズも、好みの分かれる顔でしょう。そもそも彼女は芯の強いファイナル・ガールの典型的タイプではないので、この点も期待外れとされました。

ゲイポイント2:主人公がゲイっぽい

主人公が男であるだけならまだしも、脚本にパットンのめめしい演技が加わり、彼の行動のゲイっぽさがかなり強調されてしまっています。

ジェスの叫び声は甲高く、女性的。その表情は初代スクリーム・クイーンと言われる『サイコ』のジャネット・リーにそっくり。パットンはファイナル・ボーイのみならず、スクリーム・クイーンとさえ呼ばれるようになってしまいます。

Jesse girl scream
ジェシーのスクリーム・シーン

可愛い女の子が叫んでいる姿を見るのを楽しみにホラー映画を見ている男性たちは、さぞがっかりしたことでしょう。

さらに主人公ジェシーが女性的なのは、叫び声だけではありません。

部屋を片付けダンスをするシーン。音楽をかけて次第にノリ始めるジェシー。レディガガのような眼鏡を見つけ、ダンスのキレが加速していきます。その時の様子がこちら。

このtwerk(尻フリ)はもう…。

また、シャワーに入るシーンはまるでしずかちゃんのよう。

ゲイポイント3:先生がゲイ

昼はコーチ、夜は…

主人公のジェシーは“ゲイっぽい”ですが、直接的にゲイだと断定する表現は見られません。でも先生は違います。体育のコーチ、シュナイダー先生は鬼教官。少しでもたるんでいると、ジェシーたちに無限腕立て伏せを強要してしごきます。しかしこのコーチには裏の顔がありました。それは、ゲイバーでSMをたしなむこと。

しかもフレディにタオルでひたすらケツをひっぱたかれた挙句、全裸で死亡。えづらだけ見たら完全にゲイポルノ。スパンキングですね。これ、もし女性教師だったら、かなりありふれたホラーになってたでしょうね。

※Xtubeの画像ではありません。

2.ゲイ・ホラーとしての再評価

失敗作の烙印を押されたこの映画を、ひそかに評価した人々がいました。それは、ゲイ・コミュニティの人々。彼らの目から見ると、この作品はまさに自分たちの生きる世界を表現したホラーとして捉えられたのです。

曖昧なブロマンス

この映画は「ときめき」に溢れているというと、疑問に思う人も多いでしょう。なにせ、主人公はヒロインとの恋愛に後ろ向き、ときめきを感じられるシーンなど皆無です。

そのかわり、この映画には男性同士の不思議な絆が描かれています。女々しい主人公ジェシーといつもつるんでいるロンは、バリバリ運動部のジョック(花形体育会系男子)。全く共通点の無い二人ですが、けんかをしたり一緒に体罰を受ける中で友情を育んでゆきます。

一緒に体罰を受ける二人

ロンはジョックにも関わらず、他の若者のように派手な女遊びを好んだりはせず、リサの家で開かれるパーティにも目もくれません。この映画の中で、ロンは女子よりもむしろ、ジェシーに興味を持っているように描かれています。体罰の腕立て伏せがいつまで続くかジェシーに聞かれ、彼はこう答えます。

It could be all night.
(一晩中かもな。)
He gets his rocks off like this.
(その間、あいつはこれと同じ体勢でお楽しみさ。)
Hangs around queer S and M joints downtown.
(変態SMクラブへ行ってな。)
He likes pretty boys like you.
(お前みたいなかわいこちゃんがお好きなのさ。)

これはロンのセリフの中でも人気の高い部分。もちろん「かわいこちゃん」というのは普通に見れば皮肉なのですが、それと同時に、少なくともジェシーを可愛いと感じていることを無意識的に表してしまっています。とんだ不細工に対してこんなセリフは言わないでしょうから。

さらにそのあと、ロンはジェスとリサの関係について問いただします。

you and that rich babe...you've been cruising to school with every day?
(ロン:お前あの女と毎日一緒に通学か?)
What about her?
(ジェシー:彼女がどうしたんだよ。)
Are you mounting her nightly or what?
(ロン:毎晩あの女に乗ってんのか。それともシコシコか。)
Look, Grady.you got some problem with me?
(ジェシー:おいグレイディ。なんのつもりだ。)
No, bro. J ust killing time.
(ロン:いや、ただの暇つぶしさ。)

ジェシー、ひいてはジェシーの性生活に興味津々なロン。

このあとも、二人はコーチの悪口を言っているところ見つかって仲良く体罰を受けたり、ロンが眠っているジェシーにいたずらをして笑いあうなど、彼らの間柄はリサとの間柄と比べるとかなり濃厚に描かれています。

この二人の絶妙な距離感は、多くのゲイに「ときめき」を与えました。

女性への不能感

では一方で、ヒロインのリサとのシーンはどうだったでしょうか。

二人はなかなかロマンティックな関係になりませんが、パーティのシーンで問題の濡れ場が訪れます。

不安におしつぶされそうなジェシーは、励ましてくれるリサにキスをし、セックスを始めます。キスはだんだんと下へ下がっていき、快感に喘ぐリサ。しかしそこで、なんとジェシーの舌は怪物のような舌に変化しまい、中断せざるをえなくなります。

よく蛇のような細かい動きの長い舌がホラーで描かれることがありますが、この舌は決してそのような妖艶なものではありません。むしろ、気管をふさいで嗚咽を促してしまうような、嘔吐的な感覚を呼び起こすデザインになっています。

ここには、ジェスの女性とのセックスへの強い拒絶感が表現されています。それは、ゲイとしてのアイデンティティを確立していない男性にとっては“不能感”であり、劣等感に結びつく事件でもあります。

ジェシーは自分がゲイであることに抗い、ストレートの男性を演じます。しかし、いざセックスとなると、体の言い分に勝つことはできなかったのです。

リサのもとを離れたジェシーが向かったのは、ロンの家でした。上裸で寝ているロンに、キスでもせんばかりに覆いかぶさるジェシー。何かが自分の中にいるんだ!とロンに助けを求めます。

自分の中にいるのは、ロンへの欲望だと知らずに…。

男しか殺されない?逆転する欲望の志向

さて、設定には、もう一つおかしな点があります。

この映画では、驚いたことに男ばかりが殺されるのです。冒頭から何度数えても、女性が殺されるのはラストシーンの夢の中だけです。このことの何が画期的かというと、従来のホラー映画の持つ嗜虐性(苦痛を与えることを楽しみ、好むこと)の矢印の向きを変えたことにあります。

ホラー映画では男女問わず被害者になりえますが、殺され方まで考えると、男女の間には差が見られます。特に80年代のホラーでは、男性が比較的あっさり殺されることが多いのに対し、裸で追われ、追い詰められ、なぶり殺されるのは女性の役回り。これは、女性を嗜虐的な欲望の対象として描いているからです。そこには人間のジェンダーバイアスが、本能的な嗜虐性を通して表出していると言ってもよいでしょう。

セクシーな姿で追い詰められる男たち

一方『エルム街の悪夢2』で裸にされ、追い詰められ、殺される役を担うのは一貫して男性です。しかも、仮に死ぬ男たちを女に置き換えると、急に“一般的なホラー”としての色が濃くなるのも面白いところ。SM好きの女教師が、全裸にひん剥かれて縛り付けられて殺される。親友の女友達が、ドア越しに心配する父母の目の前で切り刻まれる。ホラー映画としてありふれた展開です。しかし殺されるのが男となると、急に違和感が生まれてきます。

この映画では、欲望の志向性が逆転しているのです。

この展開は、普段安心しきっている男性の観客を不安にさせ、自分の役割に慣れた女性を混乱させました。そして、ゲイ男性の多くは、初めて自分の視点をホラー映画の中に見出したのです。

3.フレディは何を意味するのか

抑えきれない無意識の欲望

これらの設定を通して、この映画における“フレディ”がいったい何を意味しているのか、明らかになって来るのではないでしょうか。

どんなに押し殺しても出てきてしまう存在。それも、睡眠という身体的な現象と結びついた、“身体的”な存在。相手を殺してしまうほどの強烈な欲望。その対象はみな男性で、ジェシーががんばって女性に近づこうとすると、拒絶反応として出てくる存在。

このように考えるとフレディは、ジェシーのうちに潜む“ゲイ”としての欲望自体だと言えるでしょう。

自分をゲイとして認めることができないジェシーは、リサと擬似的な恋愛関係を演じて必死に自分が“正常”であると信じようとしてきました。しかしSM趣味のあるゲイのコーチや魅力的な体育会系の友達は、彼の欲望を容赦なく刺激します。自らの抑えられない“異常”な欲望。この映画では、そんな語ることのできない欲望をフレディという怪物に託し、巧みに描き出しているのです。

エンディングの持つ本当の意味

最後に、この映画の最も評価すべき点は、そのエンディングにあるということを確認しておきたいと思います。

2匹の人面犬の間をくぐりぬけ、フレディともみあいになった末、そのただれた顔にキスをするリサ。するとジェシーが愛の力で生還を果たす。なんとも訳のわからない世界観でぐだぐだと終わっていく『エルム街の悪夢2』ですが、この終盤からエンディングにかけての部分が最もリアルにゲイの受難を表現していると編集部は考えます。

急な人面犬

まず、人面犬は顔こそ人間ですが、体は獣。これはジェシーの同性愛への自己嫌悪を表しています。ジェシーにとってゲイであるということは、人間になりきれないの獣であることと同じことなのです。

そしてリサがフレディにするキスは、彼の中の異性愛の呼び起こそうとする行い。ジェシーは、フレディ=同性愛願望の中から必死にもがき出ると、絞り出すように「愛している」とリサに告げます。このやりとりによって、ジェシーは自らをフレディ=同性愛願望に取り込まれることを免れます。

彼は晴れて真人間、異性愛者になることができたのです。

しかし、映画はそこでは終わりません。何かも元に戻った日常。もうフレディに悩まされることもありません。ジェスはご機嫌にスクールバスに乗り込みますが、バスは猛スピードで荒野へと向かっていきます。そしてフレディの魔の手が…。

このシーンは、冒頭のシーンと一致し、無限のループを描きます。どこまで逃げようとも自分の中の同性愛願望からは逃げられないことを示唆し、映画は終わります。

ゲイにとってこの映画は、自らの欲望を押し殺しクローゼット(異性愛者を装い、同性愛的欲望を隠すライフスタイル)に生きることの果てしない地獄を突きつける、容赦のないホラー映画だと言えるでしょう。

それはある意味では、ゲイを直接題材にした作品よりも、遥かに真に迫った表現なのです。

4.マーク・パットンのその後

ジェシーを演じたマイク・パットンは、その後映像業界のホモフォビア(同性愛嫌悪)に嫌気がさし、俳優業を辞しハリウッドを去りました。

最近のマーク・パットン

彼は、スクリーンの中で本当の自分を解放することで、人生を奪われてしまったのです。皮肉にも、この映画の語る“怪異”が現実に存在することを、ハリウッドは示してしまいました。当時、同性愛者は“危険な怪物”として扱われたのです。

後年、彼はカミングアウトをし、トレバー・プロジェクトなどの同性愛者支援活動で活躍をしています。

2019年、パットンや当時の業界関係者へのインタビューから、ゲイ・カルト映画としての『エルム街の悪夢2』を取り上げたドキュメンタリー映画 “Scream,Queen ! My Nightmare On Elm Street ”(「スクリーム・クイーン!ぼくのエルム街の悪夢」)が公開されました。

Scream Queen! My Nightmare On Elm Street (2019) Official Trailer
日本での公開は未定。

ゲイ・カルチャーが広く認められるようになった現代で『エルム街の悪夢2』は、カルト作品としての注目をますます集めています。


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