このサイコパスは、あなただったかもしれない。

「ザ・バニシング -消失- 」
(1988/オランダ・フランス)

Review
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Horro Everyone 。小世(シャオシー)です。今日から、恐怖電影通信社に新しいバイトが来てくれています。

初めまして、八重です。主に編集長の毛づくろいをしています。(ブラシで編集長の毛を撫でている)

ゴロゴロ……(喉を鳴らしている)

今日は新人研修を兼ね、シネマートへ「バニシング」を見に行きます!

私、ホラー映画は初めてなので、緊張します……。



予告編

映画『 ザ・バニシング−消失−』予告編

編集部評価

総合評価:★★★★☆

ギミック:★★★★☆
様式美:★☆☆☆☆
不気味さ:★★★★★
ストーリー:★★★☆☆


最初のホラー映画としてはハードルが高いかもしれないですね。なんといっても、あのキューブリックが最も怖い映画と評した作品ですから。

キューブリック……?


 スタンリー・キューブリックは、映画史において最も偉大な映画製作者と言われる映画人。ホラー映画史にも『機械仕掛けのオレンジ』や『シャイニング』など燦然と輝く作品を残しています。そんなキューブリックも激推しの「バニシング-消失-」、当然普通のこわさじゃありません

ホラー映画史に燦然と輝いている例



あらすじ


 南仏へバカンスへ行く途中の、レックスとサスキア。車のルーフには自転車を二台くくりつけ、青春ロードムービーのようなさわやかな会話を交わす二人。しかし、トンネルの中でガス欠になり、二人は口論に。レックスはサスキアを一人置いてトンネルを離れます。

 しばらくしてガソリンを買ったレックスが戻ってくると、サスキアはいません。車に乗り込みトンネルを抜けると、彼女はそこで待っていました。一人残されたことで怖い思いをしたのか、サスキアは泣きそうな顔で車に乗り込みます。「さっきはごめん」レックスが謝るとサスキアは彼を許し、二人の仲は一層深まります。


このトンネルのシーンでもう誘拐されちゃのうかと思ったけど、違いましたね。

そうですね。よくある“人さらい”の話を思い出させる、不穏なシーンでした。幼年期の原体験的恐怖といいますか。

 その後二人はサービス・エリアで一休み。記念にコインを木の下に埋めたり、フリスビーをしたり、幸福が二人を包み込んでいます。サスキアは、この後は自分に運転させてほしいと言うと、ジュースを買いに売店へ。しかし少し離れたところに、この二人をずっと見つめる一人の怪しげな男の姿がありました


もう絶対この男犯人ですよね。こんなに早く犯人が分かっちゃっていいんですか?

それがこの映画のキモですね。この後サスキアは帰ってこず、行方不明になってしまいます。すぐに謎解きが始まり、犯人の男がどのように誘拐に手を染めるようになったか、それが現在と交錯し語られてゆきます。

 続きは映画本編をどうぞ。
 シネマートでの上映は終わってしまいましたが、横浜のジャック&ベティで6/14(金)まで上映中です。



このサイコパスは、あなたです。


 この作品が最も怖い映画である理由、それはサイコパス(正確にはソシオパス)が理性的に描かれている点です。

 普通ホラー映画では、サイコパスはどこかおかしい人として描かれます。「サイコ」のノーマンは幼いころのトラウマを負っており、「悪い種子」のローダは冷酷で嘘つき。他にも一つの趣味へのこだわりが異常に強かったり。映画やドラマに登場するサイコパスは、こういった分かりやすい特徴を持っているものです。

 しかし、「バニシング」のサイコパス・レイモンは違います。大学教員であるレイモンは、妻と二人の子供にめぐまれ、家族へも愛情を持っているように見えます。何か心に傷を負っているわけでもなく、残忍性があるわけでもありません。むしろ、行動を見ていると愛しくなってしまうほどの、おちゃめなオヤジ

 そんな彼が、まるで日曜大工でもするかのように、殺しの趣味に目覚める。そのきっかけは意外にも、少年のころ二階から「えいやっ」と思い切って飛び降りたことでした。

「えいやっ」

 人間だれしも、してはいけないことがしてみたい、という気持ちを持つものです。例えば学校や会社をサボってしまいたい、という気持ち。実際、後は野となれ山となれ、「えいやっ」と休んでしまったこと、あなたにもあるのではないでしょうか。(ないとは言わせません!)そしてその時あなたは、自分が一皮むけたような、どこか爽快な気分を味わったのではないでしょうか。

 「バニシング」のレイモンも同じです。彼も、禁じられて抑圧された気持ちを、「えいやっ」と解放した。違うのは、かれの「えいやっ」が人殺しだったということだけです。

 レイモンは、私たちと彼らの間に橋をわたしてしまった。それが、この映画の最も怖い点。だって、怖くないですか?

 このサイコパスは、あなただったかもしれないのですから―。



もう一人の狂人


 この映画で一般人と狂人の間に橋渡しをしたのは、レイモンだけではありません。被害者の彼氏であるレックス、彼もまた見ている人をゾッとさせる存在です。

 レイモンが極めて理知的な常識人として描かれる一方、レックスは精神的に追い詰められ、幻覚を見たりおかしな言動をとるようになります。その最も象徴的なシーンは、コンピューターに移った文字列が、全てサスキアという文字にかきけされてしまう幻覚でしょう。このようにして劇中では、正常と異常の境目が、すこしずつ曖昧になってゆきます。

 後半、レックスは明らかに誤った判断を続けます。彼はサスキアがどうなったのか知りたいがために、命を顧みず自分の身をレイモンに預けてしまうのです。 レイモンについていけば殺されることは、誰の目にも明らかなのに。

 しかし最も怖いのは、私たち観客がその“明らかに誤った判断”に共感してしまうということでしょう。おかしいと知りつつも、観客はレックスと共に、レイモンに身を委ねます。私たちは戸惑いながらも、狂人になることをレックスと共に選んでしまうのです。


理性が音もたてず崩壊してゆく、恐ろしい体験ができましたね。

うふふ……私も2階から跳んでみようかしら。

(何かに目覚めてる!?)


小世のおすすめ関連作品

監督によるセルフリメイクの「失踪」は、結末が全く異なるので観てみてください。後味が悪い時は、「羊たちの沈黙」や「サイコ」でがっつりサイコパスな人を見て禊(みそぎ)しときましょう。


鑑賞後のみなさんへ

※ここからはネタバレを含みます。

結末の賛否

 「サスキアの死の真相」にすべてが収束していく本作。犯人は始まってすぐにわかってしまい、そこから引っ張って、焦らして、期待させて……その結果は、生き埋めでした。このオチに不満がある人もいるでしょう。でも僕としては大満足。その理由は二つあります。

 まず、上品さを最後まで保つことができたということ。本作は、日本での公開こそ2019年となりましたが、もとは1988年公開、30年前の映画ということになります。「シックスセンス」を皮切りに、「ゴーンガール」や「キャビン」、最近では「ゲット・アウト」など、予測不可能などんでん返しをキメるホラーやサスペンスが山のように作られてきました。そのせいでオチへの過度な期待のようなものが私たちの中で習慣化しているのではないでしょうか。

 どんでん返しは面白いですが、そこだけで見せようとすると、映画としてどうしてもある種の下品さが出てきてしまいがちです。なので、これ見よがしにとんでもないオチをつけたりしない点は、とても好印象でした。

 そしてもう一つは、この作品が試みているのは観客を驚かすことではないということです。 この映画がねらっているのは、シネマートがキャッチコピーで打ち出しているように観客に「圧倒的な絶望」を与えること、 そしてレックスの非論理的な選択を観客に追体験させることです。

 サスキアが生きているという限りなく0に近い可能性を信じ、命を懸けてギャンブルに飛び込むレックス。 その結果どのような凄惨な死を迎えるか、それは問題ではありません。確率からして、サスキアが死んでおり、彼も死ぬであろうことは、誰にでもわかっていること。そのうえで彼に自己投影するという狂気、それこそが私たちがこの映画で得た、最高にして最悪な体験なのです。

「圧倒的な絶望」

 「圧倒的な絶望」と書きましたが、この作品は“運命”のあまりにも容赦のない仕打ちを、象徴的に、直接的に、そしてプロットから描き出しています。

 まず象徴としては、原作のタイトルでもある「金の卵」が挙げられるでしょう。金の卵とは、サスキアが映画冒頭で語っている彼女の見た夢の内容です。

 金の卵に閉じ込められ、孤独に宇宙をさまよう。そしてもう一つの金の卵が現れ、2つがぶつかると、全てが終わる……。このモチーフは、二人が木の下に埋める2枚のコインや車のヘッドライトなど、作品を通して繰り返し登場する。

 これはもちろん、生き埋めにされた二人の象徴でしょう。サスキアは自分たちの末路を夢に見ていました。少し超常現象的ですが、すでに冒頭から二人の運命は決まっていたのです。

 そして直接的には、山荘を買ったレイモンが子供たちや妻に叫ばせ、声が隣家に聞こえないか実験するシーン。子どもたちは自然ですが、妻が叫ぶ瞬間までの不気味な数秒を覚えていますか?彼女のおぞましく生々しい叫びは、このあとここで叫ぶことになるサスキアの苦痛を、 直接的に 伝えています。 巧妙にも、実際にサスキアを映すことなしに。

 このように、前もって決まったサスキアの運命を作中に散りばめた上で、レイモンによりサスキアの末路が種明かしされてゆきます。サスキアが選ばれたのはたまたま、かれのクシャミが原因で前の女を取り逃がしたに過ぎないこと。そして他の細々とした行き違い。これらのプロットは、運命というものに対するなすすべのなさ、その絶望を強く印象づけます。

 二人が生き埋めにされた棺桶は、逃れられない運命の具現化なのでしょうか。私達はみな、この棺桶、金の卵の中にいるのかもしれません。


(クロロホルム買いに行こ……)

 

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ではまた次回、お会いしましょう。


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