ポップでおしゃれな社会派SF

「ゼイリブ」
(1988/アメリカ)

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 前回に引き続き、早稲田松竹のジョン・カーペンター2本立て上映のレビューです。早稲田松竹は、入れ替えなしなので、チケット1枚(大人1300円)で2本見ることができます。

1本目でいい席が取れなかった場合は、2本目との幕間で席を移動し、いい席を確保するといいですよ。

休み時間は10分しかないから、この間に忘れずにトイレに行っておくこと。

 さあ、2本目は「ゼイリブ」。

 シリアスな「遊星からの物体X」と比べると、コミカルでポップさの際立つ先品となっていました。ジョン・カーペンターらしい雰囲気や構図も溢れていますが、一方でグロテスクな描写はあえて避けているような印象も与え、他のジョンカぺ映画とは異なる作風を感じさせる一品です。


「ゼイリブ」とは

予告編

『ゼイリブ 製作30周年記念HDリマスター版』予告編

編集部評価

総合評価/★★★★☆
ギミック:★★☆☆☆
様式美:★★★★☆
不気味さ:★☆☆☆☆

 ホラー映画という観点では評価が低くなってしまいますが……その独特な世界観で観る人を惹きつける、カルト的な作品です。
 早稲田松竹では、5/17(金)まで上映中です。

編集長の一言

デジタル・リマスターによりポップさが大幅アップ。

小世の予習のおすすめ

前回の「遊星からの物体X」や、「ハロウィン」のオリジナルシリーズを見て、ジョン・カーペンターの作風を抑えておきましょう。比べながら見れば、ジョンカぺらしさを楽しみながら、他の作品群と一風違った特別さも感じ取ることができます。


みどころをレビュー!

アメコミ風コンセプト?西部劇とマザー2とドクター・フー

 舞台はロサンゼルス。 主人公のネイダは、デトロイトからの流れ者。あてもなくさすらう姿は、どこか西部劇的な情緒を醸し出しています。斡旋所へ行くも仕事は見つからず、工事現場でなんとか日雇い仕事にありつき、テント村に住み着きます。テレビを見ていると急に画面が荒れ、放送がジャックされます。


我々の暮らしている世界は人工的な仮眠状態にされている。彼らは抑圧的な社会を作り上げている。彼らの目的は皆の意識をなくすことだ。我々は“奴隷”にされている。

 しばらくするとテレビは元の番組に戻ってしまいます。そして近くの教会からはなぜか一晩中聖歌の声が……。テント村のリーダーは、何か挙動が怪しく、いつもそわそわと教会とテント村を行ったり来たりしています。

 こういった冒頭の謎の散りばめ方、そしてモブのキャラと話したり、小さなイベントを通しヒントを引き出していくスタイルは、マザー2のようなRPGゲームを彷彿とさせ、わくわくさせられました。テント村と聖歌の流れる教会、静かな路地裏と、序盤は舞台がコンパクトにまとまっていて、それもマップのあるゲーム画面を思わせます。

 中盤に差し掛かりエイリアンの正体を暴くサングラスを拾ってからは、完全に「ドクター・フー」でした。厳密な科学的検証は無視したチープでおおらかな設定と、オシャレな画面が印象的なSci-fiが始まります。

 この前半部分の、独特な雰囲気を醸し出すコンセプトが、僕は一番気に入りました。原作のコミック版からインスピレーションを得ていたようなので、アメコミの影響も考えられますね。ビジュアルの印象は全く異なりますが、ブレードランナーが好きな人もきっと楽しめるでしょう。

ポップアートとしての力強さ

 OBEY(服従せよ)。サングラスをかけると広告に透けて見える、人々を洗脳するプロパガンダの文字です。商品広告の下には“CONSUME”(消費せよ)。紙幣には“THIS IS YOUR GOD”。 こういったイメージはシンプルなため、かえって鮮烈に脳裏に残ります。

 笑ってしまうのが、メンズ・アパレルの看板には“NO INDEPENDENT THOUGHT”(「自分で考えるべからず」)という言葉。男は服にこだわるべきではないという、当時の強いジェンダー規範へのパロディになっています。

 さて、このOBEYの文字ですが、 OBEY GIANTこと、シェパード・フェアリーに影響を与えています。シェパード・フェアリーは、最近何かと話題のバンクシーと並ぶストリートアートの巨匠です。フランスの格闘家アンドレジャイアントをデフォルメした、ポスターサイズのステッカーを壁一面に貼り、新たなストリートアートのムーブメントを築きました。赤いロゴの部分だけ、シャツなどで目にしたこともあるかもしれません。

 
 最近は、山手線の車両中に貼られたNETFLIX「リラックマとカオルさん」の広告が、「ゼイリブ」の世界に酷似していると話題になりましたね。去年夏にデジタルリマスター版が公開されてからは注目を集め再評価され続けているので、この広告の担当者も確実に「ゼイリブ」を意識しているはずです。

 
 日常に潜む目に見えないメッセージを文字化するというシンプルなテクニックですが、だからこそ現代でも通用する、非常に力強くポップな表現だと思います。

映画史上に残る殴り合い

 この映画最大の見せ場の一つが、6分以上に及ぶ殴り合いです。ネイダ役のロディ・パイパーは当時全米で大人気のプロレスラー。対するフランク役、キース・デイヴィッドも、 胸筋パツパツの「ワッツアップブロ!?」系黒人お兄さんです。あの有名な戦争映画「プラトーン」に出演しています。(ちなみに「遊星からの物体X」にも重要なキャラとして出演。)

ロディ・パイパーの日本での異名は「狂乱のスコッチ」

 しかもこの二人、サングラスをかけるかかけないか、というどうしようもない理由で殴り合っています。いや設定的にサングラスはとても大事なんですが、字面だけ追うと……。

「サングラスをかけるんだ!」
ボコッ
「いやだあ!」
ボコボコッ
「かけろおおお」
ドカァ
「死んでもかけない!」
以下、6分間繰り返し

なぜかバックドロップなどのプロ技も交えながら、観客を唖然とさせ続ける二人。そして喧嘩が終わると彼らはボロボロになった体を支えあいながらホテルへ行き、休みます。この後フランクはネイダと行動を共にし、夫婦漫才を繰り広げながらエイリアン駆逐に奔走します。

ブロマンスですね!編集長!!

いや、ブロマンスというか……どゆこと?

解釈の多様性

 しかし、このサングラスをめぐっての殴り合い、ポストマルクス主義思想家として有名なスラヴォイ・ジジェクが、興味深い考察を加えています。彼は、この長い長い殴り合いが生じるのは当然だとします。

 この映画においてサングラスは、エイリアンの本当の姿、つまり物事の本質を見抜く力を持っています。そしてこれは、心理的に大きな負担を与えます。今までAだと思っていたものが、Bだったわけですから、価値観を再編成せざるを得なくなるのです。

 価値観の再編成とは、ここでは、いままで自分の信奉していた資本主義の、ネガティブな側面を直視すること、と考えていいでしょう。フランクは当然それを拒みます。一方ネイダは、殴り合ってでもその真実を同朋に伝えたいのです。

 首をひねりたくなるようなシーンが多く出てくる映画ですが、今のシーンはどんな意図で作られたんだろう?と、考える余地を残した、広い解釈に開かれた作品だといえるでしょう。

 この物語自体も、資本主義への警鐘という解釈がされることが多いですが、さらにそれを推し進め、第3世界の経済的植民地化について描いているという解釈をする人もいます。日本含むアジア・アフリカやラテンアメリカの人々が、アメリカを中心としたグローバリゼイションに対抗するどころか、進んでアメリカのポピュラーカルチャーを受け入れている現状を、テレビにぼんやり見いる労働者に重ね合わせているというわけですね。実際、朝はコーヒーとパンを飲み、昼はマクドナルドを食べ、夜はポテチとソーダでNETFLIXに没入する身からすると非常に耳が痛いですが……。

 一方で、ネオナチが「ユダヤによる世界支配」を人々に信じさせるため、この作品を曲解し解釈してプロパガンダに用いたことが話題となりました。開かれた解釈とは、時にこういった悪まで呼び込んでしまうことがあります。しかし、ジョン・カーペンターは毅然と反論を加えています。ゆるぎない思想が、作品の源流に垣間見える出来事でした。


鑑賞後のみなさんへ

 いかがでしたでしょうか。

 ホリーの家で、サングラスをかけるよう彼女を説得するシーン、ありましたよね。その時のセリフが心に留まっています。

「あなたのサングラスで何が見えても、それは自分で見たことにはならない わ」

 ネイダのサングラスで見えるものとは、支配者たるエイリアンの姿です。ここでいうエイリアンは、一部の権力者層の比喩だと考えていいでしょう。その正体を見ることができても、「自分で見たことにはならない」。その後、ホリーはエイダの落としたサングラスでエイリアンの正体に気づきますが、人間を裏切りエイリアン側へ身を落とします。
 このセリフは、たとえ世の中の真実(格差や汚職)を“見る”ことができても、それをどう考えるかは自分次第だという監督のメッセージなのではないでしょうか。正体を知ることが問題なのではない、その時に金や欲望に目がくらまず、正義を貫くことができるか。それこそが今後問われていると……。

感想をツイッターで語り合おう。

ではまた次回、お会いしましょう。

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